☆定演直前 特別企画☆
第21回定期演奏会 指揮者 征矢先生によるブラコン聴き比べ
@フランチェスカッティ
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(+交響曲第2番)
ジノ・フランチェスカッティ(vn)ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィアo
[Biddulph M 802252]
〈録音:1956年3月〉
フランチェスカッティ印のブラームスで腹いっぱいになりたい人にお勧めの1枚。高めの音程、絶えることのないヴィブラート、気迫だけで一気にフレーズをもっていく様は、まさにフランチェスカッティ的フランチェスカッティの演奏である。
一方のオーケストラは、アメリカ人のブラームスだね、とケチをつけたくなるほどいただけない。その上音程も悪い。
だがフランチェスカッティにとって、そんな事は何の関係もない様だ。ヨアヒムのカデンツを使っているが、入魂という言葉がまさにふさわしい。1楽章のコーダや2楽章は、まるでイタリア・オペラのアリアの様だ。それを望まない人には、もう少し大人っぽく弾いているバーンスタインとの共演盤を聴く方がいいかもしれない。そういえば、スパゲッティを食べながら「ヴァイオリンってやつは、いい音で弾けばそれだけでいいんだよ」と言っていた彼を思い出した。どうして近頃こういうヴァイオリニストがいてくれないのかな?
Aハイフェッツ
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調
ヤッシャ・ハイフェッツ(vn)アルトゥーロ・トスカニーニ、ディミトリ・ミトロプーロス指揮ニューヨークpo
[Instituto Discografico Italiano M IDIS6528]
〈録音:1935年2月、1956年2月〉(L)
当盤のブラームスの演奏は、いくら言葉を費やしても、聴いた時の感動を伝えることはできないほどのもの。史上最高のヴァイオリニスト、ハイフェッツはまだ30代、トスカニーニ指揮のもと真の音楽家として飛翔し、二人の音楽が我々の想像できない高みで一致している貴重なライヴだ。第1楽章序奏から、トスカニーニが全ての主題(テーマ)の「意味」を語り、第2楽章冒頭、自分が共に呼吸してしまうほど印象的なオーボエ、そしてそっと滑り込む様に入ってくるハイフェッツ。第3楽章は落ちついたテンポで始まり、最後に向けてどんどん高揚していく。別掲のコーガンの演奏と比較するとまったく別物で、良し悪しはさておき、興味深い。次にこのブラームスの20年後に録音されたベートーヴェンの演奏についてだが、こちらはハイフェッツが「ハイフェッツ」の仕事を無難にこなしただけの演奏。ニューヨーク・フィルも先程と音がちがう。指揮がトスカニーニでないことが一番の問題か?
Bコーガン
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調
レオニード・コーガン(vn)、ピエール・モントゥー、ディミトリ・ミトロプーロス
指揮ボストンso、ニューヨークpo
[Doremi M DHR7900]
〈録音:1958年1月、1958年2月〉(L)
やっぱりライヴは、いい。コーガンといえば、パガニーニのカプリースをひと晩の演奏会で全曲弾いたことで有名だが、このブラームスの第1楽章でも、パガニーニを弾く様だ。聴き始めてだんだん流れが読めてくると、こちらの予想通り、というか「そこまでやる?」とつっこめるほどやってくれるので笑える。その点では、カデンツが白眉だ。ところが、このあとの第2楽章が驚くほど素晴らしい。コーガンさん、見直しました。ライヴならではのテンション、長いフレーズに思わず惹き込まれる。美音ではなくとも入魂、説得力もある。第3楽章は、ロシアの軍隊行進というか、ケンカ腰というか。で、その売られたケンカをオケが買っているところがなんともライヴっぽく、ワクワク。モーツァルトの演奏はそれなりに美しいが、珍品の感は否めず。作品の軽妙さを排除してしまっているからか。音楽が結局、演奏者の「人間」を表すとしたら、コーガンという「人間」がよくわかる1枚だ。
2008/09/29 UP